摩文仁家の墓
南風原町大名の大名公民館の裏手の階段から小山を登っていくと、摩文仁家の墓があります。琉球王族・摩文仁御殿の墓です。墓様式は破風墓、亀甲墓いずれでもない独特の形をしていることから、1970年に沖縄県指定文化財(建造物)となりました。
摩文仁御殿は、第二尚氏王統第十代尚質王の次男・尚弘毅、大里王子朝亮を元祖とする御殿(王家の分家のこと)です。一世・朝亮は尚貞王の摂政を務めました。摩文仁家の墓は、この朝亮が国王から拝領したと伝えられています。
亀甲墓ではありませんが、玉陵のような破風墓でもない独特の形式の墓は、墓口は幅が広く蓋(ヒラチ)は石扉による観音開きの構造となっています。墓室内部は、石柱を設置し、その上に石梁を渡し、さらにその上に石版を置いて天井としています。石柱で平天井を支える形式は、他には玉城朝薫の墓くらいしか類例がない珍しいものと言われています。墓庭を囲む石牆(袖垣)は、戦争で失われた可能性があります。
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